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三人寄れば文殊の知恵

三人寄れば文殊の知恵

弘法大師と真言宗

弘法大師と真言宗について紹介したページです。

弘法大師(空海)についてごく簡単にお話します。

弘法大師は讃岐(香川県)の出身で、774年に生まれたと
言われています。
幼少の頃から神童と言われ一族の期待を一身に集め
中央の官僚になるべく、18歳で大学に入りましたが
何故かドロップアウト。

31歳で唐に渡るまで何をしていたかよく分かっていません。
24歳の時に三教指帰という本を書いています。
その中で仏教の優位性を説いており、山林修行をしていたとの
記述があります。

俗に空白の7年間と呼ばれていますが、
この何をしていたか分からない時期が憶測を呼び
沢山の弘法大師伝説の素地となりました。
四国霊場の開創もその一つです。

31歳の時、唐にわたり密教を伝授され、わずか2年で戻ってきます。
816年に高野山の開創を許され、
823年京の東寺を賜り真言宗を開きます。
そして835年62歳で入定されました。

弘法大師の生涯の特徴としては、
まず第一に宗教以外の業績があり宗教家としてでなくても、
歴史に名が残っていることです。

まず、書道家としては「弘法も筆の誤り」という
ことわざがある通り有名ですが、他にも綜芸種智院という
庶民のための学校を作り、
満濃池という日本最大の溜池を改修し、
日本最初の辞典編纂者でもあります。

そのほかにも文化史に名を残しているのですが、残念ながら
宗教家以外ではあまり研究されていないのは残念です。

第二には宗教家としてのスタートが遅いことです。
他の高名な僧侶は子供の頃から仏門に入っている方が多いですが、
弘法大師は31歳で得度しています(ちなみに同時期の
最澄上人はー天台宗を開いた人ー14歳とも15歳とも
言われています)
当時は平均寿命が短いので、今なら50歳ぐらいに
あたるのではないでしょうか。

それでいて真言教学をほとんど完成させています。
同時期の天台宗が最澄上人以降も名僧を輩出し、
教えも発展させた後、浄土、禅、日蓮宗へと
分かれていったのと対称的です。


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